『収容所に生まれた僕は愛を知らない』著者・申東赫氏 来日講演

北朝鮮の政治犯収容所で生まれ育ち,初めて脱出に成功した青年が,その地獄絵図のような実態を告白した本を出版しました。その人,申東赫(シンドンヒョク)氏を韓国からお呼びして,北朝鮮の政治犯収容所や脱北者問題を考える講演会を開催することにしました。
なお,勝手ながら,会場の定数の関係で,法律家の会以外の方々は申込先着順で20名とさせていただきます。参加費無料です。
参加ご希望の方はメールでご連絡下さい。  ←ここをクリックして下さい
または,FAX03−3357−0297 土田弁護士あて連絡下さい。

日 時 平成20年10月23日(木)
開 場 午後5時30分
開 会 午後6時<8時30分ころ閉会予定>
場 所 弁護士会館10階(1006AB)予定
主 催 北朝鮮による拉致・人権問題にとりくむ法律家の会

《申東赫氏の略歴》
1982年11月19日,价川14号政治犯管理所完全統制区域で収容者夫婦の息子として生まれ,囚人生活を始める。1996年11月,母と兄が脱出を企て失敗,公開処刑される。2005年1月,収容所からの脱出に成功。2005年2月,中国に脱北。
2006年8月,韓国入国。現在,「北韓政治犯収容所解体運動本部」(ソウル)に加わり,かつて自分が生まれ育った政治犯収容所の無実の囚人を解放するための,政治犯収容所廃絶運動を進めている。

《著 書》
題名「収容所に生まれた僕は愛を知らない」
出版社:KKベストセラー(電話03-5976-9121)


古川了子さんの拉致認定を求める行政訴訟、終結 2007年7月23日
 平成19年4月26日、東京地裁において、古川了子さんの拉致認定を求める行政訴訟が終結しました。被告国側が下記「表明書」のとおり施策を表明し、原告側が訴訟を取り下げる形となりました。
平成19年4月26日
古川了子さんの拉致認定を求める行政訴訟の和解にあたって
原告 古川朗子・竹下珠路
代理人(主任弁護士) 川人 博
特定失踪者問題調査会 代表 荒木和博
 2年間にわたって続いてきた古川了子さんの拉致認定を求める行政訴訟は4月26日の法廷で原告と被告国側の和解が成立し、裁判が終了した。
 本件は単に古川さんの拉致認定にとどまらず、特定失踪者の代表としてご家族にご協力いただき古川さんを取り上げた、いわゆる「チャンピオン訴訟」と言われるものである。結果的には古川さんの拉致認定まで至らなかったが、訴訟提起後、田中実さん、松本京子さんの認定が実現し、また、訴訟を行っている2年間の間に、特定失踪者に対する人々の認識は相当進展し、政府も認定者以外の拉致被害者、拉致疑惑に配慮するようになってきた点は大きな前進である。もちろん、まだまだ救出・真相究明への取り組みは緒に就いたばかりであり、満足できるものではないが、この訴訟が果たした役割は極めて大きかったといえる。今後政府には表明書に記載された対応を誠実に実行することを期待するとともに、立法府行政府で、積極的な決断をしていくことを切に望むものである。
 仮に、今後この表明書の内容が実行されない場合は再度訴訟を起こし、あらためて政府の姿勢を正していくことになる。
 今回裁判所が和解を勧めた最大の理由は、「政府も民間も、そして家族も、向かっている方向は同じ」というものだった。私たちもその意を酌み、合意の道を探った結果が今回の和解に至ったものである。あらためて政府側の誠意ある対応を求めるとともに、この間本件訴訟にご協力いただいた皆様に心より御礼申しあげる次第である。

表 明 書
平成19年4月26日
内閣官房拉致問題対策本部事務局総合調整室室長
内閣府拉致被害者等支援担当室室長         
河内 隆
 関係省庁・関係機関と協議した結果、関係省庁・関係機関が連携して、以下の施策の実施に努めることとしたことを表明する。
1.古川了子さんについて、本件訴訟での証拠調べをも踏まえて、関係省庁・関係機関において全力を挙げて、その安否の確認に最大限努力し、その結果、北朝鮮当局による拉致行為があったと確認された場合には、速やかに「北朝鮮当局によって拉致された被害者等の支援に関する法律」(以下「拉致被害者支援法」という。)に定める「被害者」として認定することとする。
2.拉致被害者支援法に定める被害者と認定された人(以下「認定被害者」という。)以外にも北朝鮮当局による拉致の可能性を排除できない人が存在しているとの認識に基づき、引き続き拉致容疑事案の真相究明に努め、すべての拉致被害者の北朝鮮からの速やかな帰国を実現することをはじめとした拉致問題の解決に向け、全力で取り組んでいくこととする。
3.内閣官房拉致問題対策本部事務局総合調整室を窓口として、拉致の可能性を排除できない人の御家族等からの問い合わせ、相談に誠意を持って応じものとする。
4.今後行われる日朝政府間協議において拉致の可能性を排除できない人の問題が扱われた場合、その御家族からの要望があれば、関係家族の代表等に対し、外務省からその概要等について説明を行うこととする。
5.拉致問題をめぐる二国間、多国間外交上の動きについて、現在、内閣官房拉致問題対策本部事務局総合調整室より認定被害者及びその御家族にFAX等で提供しているものと同じ情報を、特定失踪者問題調査会にも伝達することとする。
6.認定被害者以外にも北朝鮮当局による拉致の可能性を排除できない人が存在するとの認識の下、引き続き、国連の場等を活用して、関係各国に対し、拉致問題の解決に向けた協力を求めていくこととする。
7.拉致問題に関する政府広報において、認定被害者以外にも北朝鮮当局による拉致の可能性を排除できない人が存在するとの認識の下、すべての拉致被害者の速やかな帰国を実現すべく全力で取り組んでいることが対外的に認知されるように努める。
8.今後、内閣官房拉致問題対策本部事務局において国内、海外向けの広報資料を作成する場合には、政府が拉致の可能性を排除できない人が存在するとの認識を有していること、政府がこのような事案の真相究明を含む拉致問題の解決に努めていることを説明することとする。
北朝鮮当局による拉致被害者認定請求訴訟を提起(抗告訴訟・義務付けの訴え) 2005年4月13日
はじめに−本訴訟の意義
1 本件訴訟は、北朝鮮当局による拉致事件について、被害者家族が日本政府に対して被害者認定を求める初めての訴訟であり、拉致被害者の救出を実現するために裁判所が適格な判断をおこなうことを求めるものである。
2 本件訴訟は、被害者一人についての提訴であるが、本件訴訟の背景にはいまだ政府認定されていない数多くの被害者の存在があり、実質的に本件訴訟は、これらの被害者救出のための重要な一歩でもある。
3 本件訴訟は、司法改革の一貫として行なわれた行政法改正(行政事件訴訟法改正本年4月施行)を活用した訴訟であり、拉致という重大な人権侵害事件につき、司法が行政を正す訴訟である。

1 本訴訟の請求の概要
 行政事件訴訟法第3条,第37条の2「義務付けの訴え」として、原告らが被告国に対し,「北朝鮮当局によって拉致された被害者等の支援に関する法律」(以下「拉致被害者支援法」という。)に基づき,古川了子(のりこ)さんが北朝鮮当局による拉致被害者であることの認定を求めて提訴。

2 当事者等
(1)拉致被害者古川了子(のりこ)
 1955年(昭和30年)1月1日生まれ。
 1973年(昭和48年)7月当時,千葉県市原市所在の三井造船千葉事業所経理部に勤務していた。
(2)原告ら
 原告古川朗子(さえこ、88歳)は了子の母。
 原告竹下珠路(たまじ、61歳)は了子の姉である。

3 了子の失踪状況
 1973年7月7日突然失踪。
 1973年7月7日土曜日,会社が休日であったので,了子は,昼ころに自宅近くの美容院「あすか美容室」へ行き,午後は千葉市内で原告母と共に浴衣(ゆかた)を買いに行く予定となっていた。
 了子は,美容院の予約を7月6日夜に行った。また了子は,以前から原告母に対して「自分のお金で浴衣を買いたいから,一緒に見て欲しい」と頼んでおり,7月6日が夏季賞与の支給日だったことから,原告母が「7日の午後なら花市場(千葉市内)に行くから,そのときにしましょう」と答えて,7日に買いに行く約束となったものである。
 7日当日,原告母は,午前中,自宅から徒歩20分ほどの距離にある,自己の経営する生花店で仕事をし,午後2時半ないし3時ころに了子と京成電鉄千葉駅(現在の京成千葉中央駅)で会うつもりであった。ところが原告母は,了子が行く予定になっていた美容院から,以下のような伝言があったとの連絡を受けた。
 すなわち,昼前ころ,了子から美容院に電話があり,「今日の予約は用事ができたので行けなくなった。それから,自分の母親に浴衣を買いに行けなくなったと伝えてください」と言ってきた。了子の電話の後ろが騒がしかったので,「今どこ?」と尋ねたところ,了子は「千葉駅」と答えた,というのである。
 美容院より了子の伝言を聞いた原告母は,了子本人からの連絡を待ったものの,同日から了子の消息が一切不明となった。原告母は了子の友人らに尋ねて回ったが,行方は全く分からず,同月9日月曜日,会社の上司と相談して,市原警察署菊間駐在所(当時)に捜索願を提出した。
 その後原告らは,ポスターを作成し,電柱はもとより千葉市内の公衆浴場等にも掲示したり,中学や高校の同窓生に情報提供を呼びかける手紙を出したりした。また,新聞に写真入りで尋ね人欄に掲載したり,当時の日本教育テレビ(テレビ朝日の前身)の朝のワイドショー番組の「蒸発」コーナーに両親が出演するなどして訴えた。しかし,了子の消息は一切つかむことができなかった。

4 北朝鮮当局による拉致と判断する根拠
(1) 自ら失踪すべき理由が一切ない。
(2) 北朝鮮元工作員安明進氏による詳しい目撃証言の存在
(3) 時期・性別・年齢の特徴等

5 拉致認定等に関する要請
 本年3月22日,「古川了子さんを北朝鮮による拉致被害者として認定し、一日も早く救出してください。」との要請署名(計14万8123名)が政府に届けられている。
 了子さんの高校の同窓生が中心となって、「古川了子さんを救う会」がつくられ、支援活動を続けている。
   同会のホームページアドレス http://www012.upp.so-net.ne.jp/Furukawa-Noriko/
 また、本年3月29日、日弁連は、了子の失踪について,北朝鮮当局による拉致の疑いがあり,国民の安全に対する重大な侵害の疑いがある旨認定し、内閣総理大臣・外務大臣に対して「北朝鮮政府に対し、情報提供を求めるなど真相究明に努め」「その所在が確認できたときは,政府間交渉の課題として帰国を強く求め,一日も早く家族全員が一堂に会することができるように努力されたい」等の要望書を提出している。

6 拉致被害者支援法と「被害者」の認定
(1)拉致被害者支援法は、安否が確認されていない拉致被害者等について,安否の確認や帰国・入国のための最大限の努力を行うべき国の責務(第3条1項)や,安否等に関する情報の把握,伝達,相談等の「きめ細かな対応」に努めるべき国及び地方公共団体の責務(同条4項)を規定している。
(2)「被害者」認定の実情
 拉致被害者支援法は,「被害者」を「北朝鮮当局によって拉致された日本国民として内閣総理大臣が認定した者」と定義づけているが、内閣総理大臣(政府)が拉致被害者と認定しているのは10件15名(注:本訴訟提起時)にとどまる。
 つまり、支援法は出来たものの、新しく認定された被害者は皆無である。(注:本訴訟提起時)
 支援法には、認定要件も認定手続も定められていない。
 北朝鮮は認めていないが政府が被害者と認定しているのは現在2名(曽我ミヨシさん、久米さん)。(注:本訴訟提起時)
 したがって、政府の認定要件として北朝鮮当局の「自白」は要件とはなっていない。
 2002年9月第1回日朝首脳会談以前に、すでに政府は11人を被害者として認定していた(会談後に4人=曽我ひとみさん、曽我ミヨシさん、石岡さん、松木さんが追加認定された)。この11人についても、北朝鮮当局の「自白」なしに、政府は被害者と認定していた。当時は、まだ支援法がなかったが、被害者認定という意味で先例となる。
 第1回日朝首脳会談前から政府認定されていた人々と比較しても、本件は、拉致被害者と認定されるべきである(たとえば横田さんと同じく安明進氏の目撃証言がある)。

7 行政事件訴訟法改正による義務付け訴訟
(1)行政事件訴訟改正(本年4月施行)
 司法改革の一貫として、行政事件訴訟法の改正が行なわれ(平成16年6月)、本年4月1日から施行された。
 この改正は「国民の権利利益のより実効的な救済を図るため」(司法制度改革推進本部行政訴訟検討会)に行なわれた。
 これにより、個人による国相手の行政訴訟がおこないやすくなり、とくにに、いわゆる「義務付け訴訟」が法定されたことにより、本件のように政府に処分を求める訴訟が明文によって認められた。
(2)訴訟要件
 a.重大な損害を生ずるおそれ(行政事件訴訟法第37条の2第1項)
 b.損害を避けるため他に適当な方法がない(同条同項)
(3)原告適格
 拉致被害者支援法は,第2条第1項で「被害者の家族」として被害者の父母,兄弟姉妹等を挙げており,本件原告母および原告姉は,同法の「被害者の家族」に該当する。
(4)本案勝訴要件
 a.行政事件訴訟法第37条の2第5項に定める「行政庁がその処分をすべきであることがその処分の根拠となる法令の規定から明らかであると認められ」る。
 b.同条同項に定める「行政庁がその処分をしないことがその裁量権の範囲を超え若しくはその濫用となると認められるとき」にも該当する。

8 代理人弁護士
 23名。いずれも「北朝鮮による拉致・人権問題にとりくむ法律家の会」の会員として活動している。
 法律家の会の事務局長は斎藤弁護士。
 本件訴訟担当の主任は、川人弁護士。

★ 「北朝鮮による拉致・人権問題にとりくむ法律家の会」

 2002年9月17日の日朝首脳会談で北朝鮮自身が拉致の事実を認めるより以前から、有志の弁護士で拉致問題について勉強会を重ね、2003年3月18日に「法律家の会」として正式に発足しました。
 現在、日本政府が拉致被害者として認定しているのは10件15名にとどまりますが、国内では多数の失踪者の家族が「北朝鮮による拉致の疑いがあるのでは」と調査を求めて殺到しており、実際にはさらに数多くの拉致被害者がいると指摘されています。法律家の会では、特定失踪者問題調査会と連携して、調査活動を進めています。川人弁護士は同調査会の理事も務めています。
 拉致は重大な人権侵害行為であり、残酷極まりない犯罪です。拉致被害者とその家族は25年あるいは30年もの長きにわたって最悪の人権侵害との孤独なたたかいを強いられてきました。法律家の会は、この遅れを取り戻し、拉致問題の真に解決するべく、その専門性を生かして積極的に活動を行っています。
 法律家の会のこれまでの活動としては、2003年10月29日には櫻井よしこさん、横田滋さん、脱北者の姜哲煥さんを招いて弁護士会館でシンポジウムを開催したほか、また2004年1月29日には、拉致の可能性が濃厚と判断された16名の方々について、警察に対する一斉告発及び日弁連に対する人権救済申立を行いました。
 なお、「北朝鮮による拉致被害者を救出する法律家の会」は2004年9月1日に名称を「北朝鮮による拉致・人権問題にとりくむ法律家の会」と変更しました。

    特定失踪者問題調査会 : http://www.chosa-kai.jp/


★ 北朝鮮難民の救援を

 2003年12月、北朝鮮から中国へ脱北した元在日朝鮮人2名の支援を行っていた野口孝行氏が、中国の南寧で中国当局に身柄拘束され、懲役8月の実刑判決を受けるという事件が発生しました。
 北朝鮮の惨憺たる人権侵害状況から逃れて中国へ入るものは10万人から20万人にも及ぶと言われており、野口氏はNPO「北朝鮮難民救援基金」のメンバーとして、そのような北朝鮮難民の支援活動を行っていました。野口氏が救出しようとしたのは北朝鮮から必死の思いで逃げてきた市民であり、刑罰に問われる謂われのないものです。人道的立場や普遍的人権意識、国際法の観点から見て、中国当局のこのような対応は明らかに不当です。
 野口さんは2004年8月9日、刑期満了により釈放され、帰国しました。しかし野口さんが救出しようとした脱北者2名については、いまだ安否が確認されておらず、北朝鮮に送還されたとの情報もあります。
 「法律家の会」の有志の弁護士は、北朝鮮難民基金などの代理人となって2004年4月2日に日弁連に対し人権救済の申立てを行いました。

    北朝鮮難民救援基金 : http://www.asahi-net.or.jp/~fe6h-ktu/

野口さんの身柄拘束中に江川紹子さんから寄せていただいたメッセージ
 野口さんの身を案じております。
 人道支援に尽力されてきた日本国民が、犯罪者として扱われている時に、日本の政府はなぜ何も言わないのでしょう。
 北朝鮮が、人権という面で極めて劣悪な環境であることは、わが国政府はよく分かっているはずです。
 そこから命からがら逃げてきた人々を助けようという行為は、称賛されこそすれ、犯罪者扱いされるいわれはありません。
 日本の政府がきちんと抗議しないことで、野口さんの身柄をどのように扱おうとわが国は関知しないというような誤った印象を与えかねないのではないかと、心配です。
 人道支援は、それがどこの場で行われようと、尊いものです。
 イラクの人々に対する支援も、紛争や疾病に苦しむアフリカの人々に対する支援も、そして北朝鮮の圧政に苦しんできた人々への支援も、どれも等しく大事です。
 今回、イラクへの支援などに赴いた民間人3人が武装勢力に囚われた時、川口外務大臣はアルジャジーラに出演するなどして、3人の解放を訴えました。
 北朝鮮からの難民を救う活動をしていた人が、不当に囚われているというのに、なぜ何の行動も起こさないのでしょう。少なくとも、目に見える対応がとられていないということに、私は衝撃を覚えています。
 それとも、悪法も法だからと、どんなに不当な扱いも、許されるというのでしょうか。もしそんな態度をとるのであれば、政府は邦人保護の責務を放棄したも同然です。
 中国当局が一日も早く野口さんを解放すること、そのために日本政府がその責務を果たされることを強く強く要望します。また、北朝鮮に送り返されれば命すら危うくなる2人の方が、難民として認められ、その人権が守られるよう、日本政府が中国当局に働きかけることを、同じように強く強く望みます。